権現堂山の鬼の穴には弥三郎ばさが住んでいる。
「弥三郎ばさがくるから、いい子になって早く寝れ」 吹雪の夜は、親や年寄りから弥三郎ばさの話を聞いたものだった。現在の気密性の良い家では、窓の隙間から雪が吹き込んだり、障子戸がガタガタ音を立てることも無くなり、こんな昔話の情緒も薄れてしまった。
怖くて切ない弥三郎ばさのお話です。
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むかしばなし
権現堂の弥三郎ばさ
動画33分30秒 (YouTube)
2016年11月15日入広瀬駅舎内雪国観光会館にて収録。
かみしばい
文 青山幸子
画 富永政美智
とんとんむかしがあったと。
むかし、大崎村(現・南魚沼市)てどこへ、弥三郎という猟師が住んでいたと。
弥三郎の家は弥三郎と弥三郎のかかとせがれの三人暮らしであったと。
弥三郎は、猟師としては、なじょんかうでがよくて、まいんちまいんち猟にでかけては、いっぺえ獲物をとってきて、暮らしをたてていたてがんの。
ところが、ある日のこと、弥三郎は雪の山へ猟にでかけたまんま、なだれの下んでもなったがんだやら、ええてもどってこねえかったと。
かかもせがれも、せつながったども、いくらせつながっても、どうしょうもねんなんが、せがれがでっこくなるがんを楽しみに、なかよく暮らしていたと。
そのうちに、せがれもでっこくなって、いい若いしょになったんなんが、父親の「弥三郎」という名前をついで、めごげの嫁をもらったと。
だんなんが、ごうぎ幸せだったこてやの。
父親の名前をついだ弥三郎は、うでききの猟師になって、まいんちまいんち山へ猟にでかけていたてがんの。
ところが、ある年の冬、ごうぎの吹雪の日だてがんに、弥三郎がまた山へでかけようとしてるんなんが、家族は「ほっけのごうぎの吹雪の日は、山なんか行がんでくれ」と、猟に行がねようたのんだてや。
ほうしたども、弥三郎はだれの言うことも聞かねえで、雪の山へ出かけていって、それっきりもどってこねえかったかったと。
嫁はあんまりせつなくて、とうとう弥三郎のあとを追って死んでしまったてんがの。
あとに残さいたばさは、乳飲み子の孫をかかえて「どうしぇば、いいがんだやら」と、途方にくれるばっかだったと。
そいだども、乳を欲しがって泣く孫を見ると、ふびんでせつなくなってしまい、泣いている孫をしっかりとふところに抱いて、雪道をぼさんぼさんとこざいて、村へでかけては、子持ちの女しょを探して、頭を下げ続けながら、もらい乳をして、あいたと。
そのうち、四、五日もたつと村中に悪いうわさが広まっての、「あこのしょは、代々、殺生ばっかしてきたんなんが、そのたたりで不幸せばっか続くがんだろうから、みんなが乳なんざ、やらねえようにしようぜ」なあんて言い合って、だれ一人として乳をくれる人がいなくなってしまったてんがの。
ばさは、ちっとしか残ってねえ米で糊をこしゃったり、おも湯をこしゃったりして、孫になめさせて、てめえも残りを食って、ひもじさをしのぐしかねえっかったと。
そのうちに、だんだん米もなくなり、ばさは、ひもじさと疲れから、かぜをこじらせて、とうとう寝込んでしまったと。
そいでも、ひもじがって泣く孫を見ると、せつなくてどしようもねえんなんが、てめえのふところを広げて、しわくちゃの乳を出して孫の口へあてがうと、腹のへってる孫は、そのしわくちゃの乳に吸いついて、いっしょうけんめいに力いっぱい吸うがんだども、乳はいっそ出ねえんなんが、火のついたように泣き出し、しめえには声のかれるまで泣き続け、やがては弱々しく泣きしまに寝てしまったと。
やせ細ってしまった孫の寝顔を見ると、ばさは孫をしっかり抱きしめ、なぜたりさすったりしているうちに、涙がとめどなく流れ落ちたと。
ばさはたまらんくなって、孫のほっぺたに顔をおしあてると、いつんまにか、ぺろぺろとほっぺたをなめているうちに、あんまりめごくて、めごくて、思わずがぶっとかみついてしまったてや。
そんどき「はっ」として気がついてみると、孫はつべたくなっていたてがんの。
村のしょは、このごろ何日もばさの姿がめえねえてがんで、心配して二、三人でようすを見ることにしたと。
みんなで戸のすきまからのぞいて中のようすをうかがうと、ばさは物音に気がついて、みんなのいるほうを振り向いて、にやっと笑ったと。
その顔は、なんと、みんなが見たこともねえおっかねえ顔だったてんがの。
口が耳までさけて血だらまっかで、頭ん毛は白髪のざんばら髪、目はぎょろりと光って、それはおっかねえ鬼ばさの顔だったんなんが、みんな「きゃっ」と言って、腰をのかしそになりながら、われさきにと逃げ出したと。
このことがたちまち村中に広まり、大騒ぎになったんなんが、ばさも落ち着いてはいらんねえかったども、なんにせ、腹がへってくるとたまらんくなって、よおさり、吹雪に乗っては村に出て、孫のことを思い出しては、泣いている子供をめっけて、さらがうようになってしまったと。
そこで、村のしょは、とてもこのまんまになんかしておかんねえてがんで、相談したてや。
ばさを村から追い出すか退治してしまうかということになって、みんな手に手に なた や かま を持って、たいまつをかざしながら、弥三郎の家へ押しかけたと。
家の周りを取り囲んでせめたてて、しめえには家に火をつけて、焼き討ちをかけたてがんの。
ほうしると、鬼ばさになった弥三郎のばさは、なたがまを口にくわえ、頭の毛を振り乱して目をぎょろりと光らせ、天窓を破ると、黒雲を呼び吹雪に乗って、大空へ舞い上がり、姿を消したと。
それは、あっというまのできごとだったと。
その後、鬼ばさは、ふもとの村の真浄寺という菩提寺に寄って、先祖や孫の供養をおしょうさまにたのみ、万年ろうなんかを寄進しるとどこへともなく姿を消してしまったてんがの。
だども、鬼ばさになる前は、日ごろから、とっても信心深くて、菩提寺参りをするたっぴに、菩提寺のねっこの地蔵様の境内の石に腰をおろしては、休んでいたてんがの。
今でもその石は残っていて、村の人や菩提寺のおしょうさまがだいじにお守りしてるてんがの。
それにしても、姿を隠した鬼ばさはどごへ行ったかというと、権現堂の洞穴を住処にして、あっちこっちの村から子供をさらがっていたと。
特に吹雪のよおさりには、その吹雪にのって飛んであくがんだと。
そのころ、この権現堂の弥三郎ばさは弥彦の弥三郎ばさと姉妹契りを結んだてや。
ほうして、旧暦の十二月八日にゃ、いっつもごうぎの吹雪になるてがんで、八日吹きというがんだども、毎年このころになると、吹雪に乗って、権現堂の鬼ばさは納豆づとっこ、弥彦の鬼ばさは魚づとっこを持って、お互いに歳暮のいぎっこをしていたと。
弥彦の鬼ばさが姉きぶん、権現堂の鬼ばさが妹ぶんで、どっちのばさも越後の村中を飛び回っててたんなんが、吹雪の晩になると、子供は「ほうら、ほっけの晩は鬼ばさが来るぞ。いい子になって、早く寝れいや」って言わいたりして、鬼ばさは、いつまでもおっかながられていたと。
それから八十年もたったある日、大杉の下で横になっていた鬼ばさは、典海大僧正という徳の高いお坊さんにめっけられて、こんこんと諭され心を改めたてがんの。
鬼ばさはこんどきに「妙多羅天女」の名を授かり、弥彦の宝光院にまつられ、今も信仰を集めていると。
こんどきから弥彦の鬼ばさは「弥三郎ばさ」の名を権現堂の鬼ばさに譲ったというこったども、どっちの鬼ばさも「弥三郎ばさ」とも言われていたんなんが、徳の高いお坊さんに諭され、いっしょに改心して合体し、「妙多羅天女」になったとも言われているし、もしかしたら、同じ鬼ばさがあっちこっち住みついて、暴れ回っていたがんだかもわからんの。
いちがさけもうした
なべんしったはがらがら。